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2013年1月

2013年1月16日 (水)

雪の恵比寿

佐藤さんといつもの恵比寿のマッサージへ。


昨年はマッサージに来る時がたまたまいろいろなことが起こった後で、ざわついたり決心を固めたり緊迫した心理状態で来ていた。
そのため思い入れの強くなってしまったこともあるがマッサージに外れがなく効果が高いので良く来ている。

そういえば、丁度初めて来たのが一年前くらいからでないかしら。
長く付き合った人と別れ白目を向いた様な状態の中、佐藤さんに身体をほぐせと連れてきてもらった気がする。
今日は比較的穏やかに来た。

いつもの、こちらの返答の後に「ですです〜」というのが口癖のマッサージがやたら上手いお姉さんはいなかった。
先週、今週と激務が続き思ったより身体が固くなっていた様で「ですです〜」のお姉さんでなくても大分軽くなった。

何となく毎回マッサージの後に美味しいものを食べることになっているが、今日はガーデンプレイスへ行ってみた。
38階のお店、夜景を目の前に豚料理。
これは、うっかりデートだわ。

雪の恵比寿

カップルシートに2人、老後や相続や顔の老化の話をする。
隣のうっとりカップルを時々気にしながら美味しい豚の塩麹焼と白センマイを食べた。


帰りのガーデンプレイスの道、灯りそれぞれに雪が残されているのが続ききれいだった。

雪の恵比寿

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2013年1月14日 (月)

杉並会 おとめんの会

杉並会 おとめんの会
杉並会 おとめんの会
杉並会 おとめんの会
杉並会 おとめんの会
2013年、杉並会の年始めは、クウネル男子である瓜生さん、杉並会最多参加のしょうちゃん、お二人の男子をお招きして。

お店は西荻の三人灯、もうちゃんなどと何度か来ており誰かのお家で飲んでいる様な居心地の良さと料理の美味しさで気に入っているお店。
家具や窓枠、照明が素敵で杉並会で是非と思っていた。

いろいろ美味しかったが、私はかわはぎの肝和えが1番美味しかった。

瓜生さんは昔から顔見知りだったりさほちゃんから良く話を聞いていたので一方的に仲良しの気になってしまっていたがゆっくりお話するのは初めてだ。
杉並会三人で話していた時にしょうちゃんと瓜生さんはきっと合うわ、と盛り上がり勝手に引き合わせることになった今回の会、驚くくらい違和感なくとても楽しかった。
話をする中での瓜生さんのコメントの端々に優しさを感じ、皆が瓜生さんのことを好きな理由が良く分かった。

そして、今回は保育園の採用試験に見事合格したさほちゃんに、会の終わりの方でケーキを出そうと会長と企てた。
2日前にお店の方に途中でケーキを出したいと相談したところお店からお花を用意して下さり心遣いが嬉しかった。

さほちゃんには本当に頭が下がる。
採用試験の難しさ、長丁場を良くやりきったわねと驚きと共に誇らしく思う。
嬉しいわ。
おめでとう。
会長がおめでとう繋がりで、誕生日の歌を歌うつもりなっていたのが愛らしかった。

ケーキを食べながら、しょうちゃんが歌ってくれたり、瓜生さんが「お祝いしてくれる友達がいて良かったねえ。」と何度も感慨深く言っていたり幸せな時間だった。


ケーキ、会長に白い生クリームのない黒いケーキを選んでもらったので食べれた。
生クリームが食べれないと意外と困ることが多い。
他の食べ物が食べれないのと大きく異なるのが、ケーキを出してくれるということは少し特別なことで、大抵そこに出す人の相手を喜ばそうという気持ちがあるということだ。
最近も好意で出されたケーキを食べることが出来ず悲しくなったことがあった為、皆とケーキを食べれたことが更に嬉しかった。
そういえば、昨年共演した長尾くんも生クリームが食べれないと言っており盛り上がったことを思い出す。

おめでとう!さほちゃん!
そして瓜生さん、しょうちゃん、どうもありがとうございました。

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2013年1月 9日 (水)

鳥源

鳥源
年末、鳥源に行った。
一年振りの水炊き、美味しかった。
水炊きなのか年季の入ったお店なのか理由は分からないが、やけに年の瀬っぽい雰囲気を感じながら日本酒と共に堪能した。

単品にして水炊き1.5人前、つくねなど好きなものを頼んだがどれも美味しい。
でも一番は鳥刺だわ。
新鮮な鳥刺は魚の様で魚とは違い上手く言えないがぐっとくる。
美味しかった。
ご馳走なので年一回の楽しみだ。

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2012年

2012年がようやく終わった。
いろいろと、本当にいろいろとあった年だった。


そして大晦日に祖父が亡くなった。
父方の祖父、茨城弁が激しく話が理解出来ない程で時々フランス語の様に聞こえた。
彫りの深い顔でフランス人に見えなくもなく、父が結婚前に自分はハーフだと言っていたのを信じそうになったと母が言っていた。


警察だった祖父は真面目な努力家でいろいろな勲章をもらっていた。
高学歴や名のある企業で働く立派な孫たちを自慢にしており、演劇を始めた私は異端児として扱われ口も聞いてもらえなかった。
介護で時々祖父の元に行く母について何度か行ったが、私の姿は見えないかの様に視界に入れてもらえなかった。母がよく今日も佳織の姿は見えなかったねと私が妖精かの様に言っていた。

そんな祖父との近年の関係もあり亡くなったと聞いた時も正直悲しいという感情は湧かなかった。
家族葬にしたので身内だけだったが、20年以上振りに会う従兄弟ややたら明るい親戚と数日過ごし、皆興味深々だったパイロットになった従兄弟の話や、従兄弟たちと私や弟2人、叔父や叔母など大枝家の手相がほとんどマスかけであり遺伝なのだねという話など盛り上がり、楽しくこのまま終わるのだろうと思っていた。

最後のお別れの時にずっとふざけていた叔母の泣き声が響き渡り、初孫という理由で孫代表で大きな花束を祖父の胸に置かせてもらった時忘れていた小さい時とても可愛がってもらった記憶が溢れてきて涙が止まらなくなった。
私は祖父に喜ばせることを何もしてあげられなかったのだと思った。

式の後、叔母は「おばちゃん泣き虫だからさあ!」と爆笑していた。
末娘の叔母は祖父に一番近い存在で、届いていた日銀総裁やら警視総監やら立派な所からのお花を「お父ちゃん、こういうの好きだからきっと喜んでいるよ〜」と嬉しそうに言っていたが、年始で連絡が取れない中祖父を喜ばしたいという思いで叔母が急遽お願いしていたものだと父が言っていた。
家族葬にしては豪華な葬儀も父の祖父を喜ばせたいという思いだろう。
皆の祖父への思いが形になった様な温かい式だった。
喜ばせられなかった私はこれからも祖父を喜ばせる様な孫にはなれないと思うが、それならそれで祖父を思い自分の思うことを精一杯頑張ろうと思った。

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